僕は30歳で、東京から地元にUターン
してきましたが、仕事がなく五里霧中に
なってしまった。
長期間定職に就けず、引きこもりに近い
状態であったでしょう。
今回は、そんな僕がどうやって社会復帰したかを
語ります。
ブラック人材とは、履歴書上の汚点、即ち
職に就いていない空白期間が長い、
もしくは短期(1年未満)の退職が
多いのを意味します。
こうなると世間の風当たりは厳しくなります。
すぐ辞めざるを得ないブラック企業でも、
鬱などの病気で暫く働けない状態でも、
「自己責任」と評されるのが日本社会です。
死ぬくらいなら会社辞めれば、が如何に
浅薄な認識なのか、怒りが収まりません。
すべり台社会でドロップアウトするのは、
社会的落伍者のレッテルを貼られる、
無言の圧力が課せられる。
新卒で入った会社が一番いい会社、という
のが一般的でしょう。だから少々つらい事が
あってもしがみつけ、が昭和の価値観でした。
平成になり、第二新卒という採用が出て
きました。要はもう一回ガチャを引ける。
20代のうちは色々試しても許される
モラトリアムがあります。僕は30歳になって
新卒で勤めた会社を辞めました。
そこで僕はコケてしまった。30歳以降で
初の転職失敗は深刻で、一生消えない傷に。
普通に考えれば取り返しのつかない事です。
もう正社員の道はないと覚悟した方がいい。
失地回復は不可能のように思えました。
当時は新卒でも氷河期に差し掛かり、
正規雇用は高嶺の花。もう社会復帰は
夢のまた夢なのでしょうか?
若くもない、これと言ったスキルもない。
とにかくどこかで働かなければ・・・
途方に暮れる日々だったのです。
ブラック人材になってしまった僕が
職を探し途方に暮れていた頃、
緊急雇用対策事業の求人があり、応募しました。
アルバイトで警備会社A社に委託されていた
業務をこなし、終了後は同社に入りました。
警備会社は、正規・非正規の線引きが
あいまいで、事務所以外で働く社員は
隊員と言っていました。
特に交通誘導は日給月給制の、日雇い
延長のような雇用感覚だからでしょう。
A社は地元警備会社の中でも中堅で、
経営状態も悪くありませんでした。
そのA社が市役所といった堅い施設警備を
取り、僕を配属してくれたのです。
社会復帰の一里塚でした。
僕が警備員をこのまま続けていいのか、と
思い始めたのはA社に勤め5年が経過し、
30代も終わりに近づいた頃。
この時点で失地回復を果たしたのかも知れ
ません。
履歴書の汚点の話をしましたが、
職に就いていない空白期間で失った
信用を、どうすれば挽回できるのか。
僕個人の考えでは、上記空白期間のおよそ
2倍以上、もしくは5年勤続が目安のよう
です。勤続実績を作るしかありません。
それが底辺の職業と揶揄される警備会社で
あっても、勤めた実績は残ります。
僕で言えば、以前の職のような待遇と
高望みしなければ、そこそこの条件の
所にアプローチする道も開けます。
100%と言えなくとも僕は失地回復するまで、
動くべきではないと感じていました。
こうして僕は30代をA社に捧げましたが、
これが土台となり、紆余曲折はあったものの
今につながったのです。
もう一つ、失地回復には重要なファクター
があります。
それは新たに就いた仕事
(僕で言えば警備業)で、成功体験を
積む事。小さなもので構いません。
成功体験が自信となり、自己肯定感をも
回復させます。特に前職でひどい目に遭った
経験のある人ほど必要です。
ある程度失地回復すれば、高望みしない限り
もう少しましな仕事のチャンスが来ます。
まるで警備業を踏み台にしたような僕の
人生ですが、業界の実態を見るにお互い様。
「会社はしがみつくのではなく利用するもの」
を実践できたと自負しています。
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