恩(運)は回していこう


私個人的に人間としてやっちゃいけない
と思うのは、恩を仇で返すこと。



社会人として最低限の事なのでしょうが、
今回は、受けた恩をどうするかで人生の
幸福度が変わっていく、という話です。



上記に加え、運を上手く回せる人が
最後に笑う、という話もします。



恩返し。これは恩を受けた人に
お返しをすること。
理想ですが、これ以外と難しい。



恩を授けた相手が偉大過ぎたり、
恩返しをする機会を逸したりして
なかなか難しいもの。



出世払いでいいよ、と言われるのは
事実上恩返しの辞退かもしれません。



それならば、どうするのがベター
なのか。
タイトルにある、恩を回す。



具体的にはどういうアクションなの
でしょうか。



上司や先輩に、おごってもらった。
それを今度は後輩や部下に自分が
おごる。



自分がされて嬉しかったことを、
恩を受けた人以外にしてあげる。
これぞ恩回し。



上記のようなおごる慣習が、伝統の
ようになっている組織は、強いと
観ます。



というのは徳のようなものが
「循環」するから。



既得権益を一部の人が寡占している
組織は、循環がなされず衰退していく。



なぜこんな事を言うかと言えば、
かつての僕は恩返しにこだわり過ぎて
もっと大事なことを見落としていた。



かつて私が勤めた全国系列のビル管理
会社であったB社。



その前に勤めた、地場警備会社A社を
不本意ながら退職し、B社に転職しました。



B社には、A社時代の知人がいました。
そのツテを使って転職したようなもの。



なので、拾われた身としては恩返しを
しなくてはならない。私はそう考えた。



当時B社は、隊長が交代したばかりで
前隊長の指導力不足が原因と思われる、
警備隊のレベルの低さが問題に。



そこへ僕が入って来た。警備のレベル
アップ、要するに指導を期待されました。



施設警備検定2級も持っており、
隊長直属の部下である班長として、
隊員の指導に当たって欲しい。



当時僕は張り切っており、警備補完計画
などと称して、警備隊の立て直しに取り
組んだものです。



ところが、B社の実態が明らかになるに
つれ、恩返しの意義を問われることに。



隊長は、僕が指導するのは施設警備2級
検定受験のため、と説明しました。



B社のスタンスはこれと相反するもので
検定受験の話すら出ない。



私が訓練指導をしている平隊員からも、
こんなことやって何になる、と本音が。



訓練の成果が上がらないと、隊長から
「進歩がない」とパワハラ。それなら
進歩する環境を作れ。



こんな実情もあって、私の業務に対する
モチベーションは、どんどん落ちて
いきます。



トドメを刺すかのように、リーマン
ショックからの隊員リストラで



もはや警備の立て直しどころの話では
なくなってしまいます。僕がB社を
去った大きな理由でした。



B社は僕が辞めた後も、組織として
立て直すことができず



クライアント側からの信用を失い、
臨時入札が行われ、警備する施設を
失い、隊員は全員解雇。



この教訓から何を学ぶか。
恩返しといっても、恩を受けた人や
組織が、返すに値しないケースも。



不謹慎かも知れませんが、恩を返す
人や組織は、見極めないといけない。



滅びゆく組織でいくら頑張っても、
成果は得られません。空しいだけ。



それならば、自分の知識や経験を
別の環境で、指導力を以て貢献する。
これが恩回しではないでしょうか。



恩を返すなら、環境次第。
返すのではなく、別の人に回す。



この見極めができるようになると、
人生がうまく回り始めるのでは。



恩を返すことは、人間として素晴らしい
行いですが、それにこだわり過ぎると
人生窮屈になってしまう。



恩は受けたら忘れず、授けてくれた
人に不遜な態度を取らなければいい。
社会人として、最低限の筋を通せばいい。



助けられたら、自分が助ける側に
回る。小さなことでもいい。助けた
相手は覚えているものです。



「情けは人の為ならず」という
ことわざがありますが



こういった「徳」の循環を行えば、
世の中上手く回るという教えでは
ないでしょうか。



「徳」という言葉が出ましたが、
ここでは運と置き換えていい。
中国古典から引用して行きます。



老子「無為にして化す」という
言葉にあるように



能力的には平凡で目立たなくても
組織のキーパーソンとなっている
人がいます。



この人がいると、物事がスーッと
回っていく。ある人の分析によれば



そんな人に去られて、組織が悲惨な目に
遭うのもよく見るけど、無為にして化す的な
存在というのは霊的な力というよりも



その人自身の心身の状態や判断力、
人間関係の質、リソースの循環が極めて
健全だからこそ



そのリズムに周囲が同調して
自然に恩恵を受けるという現象に近い。
健全なノリに健全な恩恵が宿る。



そしてその恩恵を受けられる人と
いうのは、自分の生活や感情をある程度
自律的にコントロールできていて、



人の善意やリソースをただ利用するの
ではなく、恩は回していこうと
循環として受け取る感覚を持ち



自分の欠点を直視して他責にせず、
学びや刺激として取り込める人であり
自分で自分を育てられる人なのです。



運を受け取る能力というのは、
同時に自分でそれを回す能力と
セットでもあるわけで



依存的だったり搾取の発想がある人
すなわちテイカーにとっては、



その健全さが鏡となって自分の歪みが
強烈に照らし出されるため、居心地の
悪さや未熟さが露見してくることに。



そこで受け取ったものを循環できずに
抱え込んだり、一方的に奪おうとして
不毛な潰し合いに発展したりする。



さらに徳ある人は依存や搾取に気づけば
淡々と距離を取るので



依存していた側にとっては外部の
エネルギー源が突然途絶え、
支えを失った分だけ急激に崩れる。



悲惨な結末になるのは縁を
切られたからではなく、自分で運を
回せない構造が引き寄せたもの。



難しく感じた人もいるかもしれません。
しかし運を上手く回せる人になるには、
以下のことに留意すればいいのでは。



小さくても約束を守る。期限がある
ものについては、守れそうに
ないなら速やかに連絡する。



陰で他人を叩いて、得意にならない。
他人の揚げ足を取ってマウントを
取らない。



正論であっても、相手のメンツを潰して
恥をかかせない。



お世話になっている人や組織に対して、
不毛な批判(改善提案は別)をしない。



自分が成果を挙げたようでも、
誰かが陰で動いてくれていて
根回しがあった成果と謙虚に振る舞う。



「自分はこんなにやっているのに、
なんで報われないんだ」



そういった不満を周囲にまき散らす
人もいますが、上記のことを励行して
いなかったかも知れません。



もっと言えば「他責」「他人の粗探し」
これをやめるだけで、運は上手く循環
していくのでは。



運が悪いのは、ここでは持って生まれた
ものというよりも、巡りや循環が良くない
ことじゃないか。これを改善していく。



運には人それぞれのレベルや次元が
ありますが、上手く回している人は



周囲から見て幸せ薄いようであっても、
本人の幸福度はまんざらでもなかったり
するものです。



運の巡りをよくすれば、連動して
縁の巡りもよくなります。



より良い環境を望むなら、自ら
運の巡りがいい人になりましょう。









コメント

タイトルとURLをコピーしました