上記タイトルは、一世を風靡した
「踊る大捜査線」からのもの。
織田裕二さん演じる、主人公青島刑事が
いかりや長介さんが演じる上司から
言われた言葉です。
警備現場に限りませんが、組織の
末端で吠える一言居士がいます。
今回は正しさだけでは人は動かない、
生産的な言動とは何なのか語ります。
それでは、青島刑事が上司から
言われた「偉くなれ」とはどういう
意味でしょうか。
組織の中で、意思決定ができる立場に
なれ、ということでしょう。
組織の末端、下っ端で正論を吠えても、
何も変わらない。
もし、信念を持って、自分が正しい
ことを目指すならば
組織の中で、意思決定の権限を持つ
立場につかない限り、実現できない。
また、漫画「キン肉マン」でも
同じような名言が。
お前に行っていることは正しい。
きっといつだって正しい。
でも単に正しいだけじゃ、
人は動かない。
正しさを実行するには、意思決定権を
持つ人になるか、その人を動かさないと
いけない。
組織でうまくやっていくには、この
意思決定権が誰にあるのかを見極め
ないといけません。
地場中小警備会社のような、ワンマン
オーナー経営の、シンプルな組織では
分かりやすいですが
そうでない場合、真の実力者が誰か
突き止めないといけない。または
そんな人と誰がつながっているか。
かつて僕が勤めた警備会社で、公立
病院の警備研修に入った事があります。
ベテラン隊員Aさんがおり、要領は
良くなかったものの、周囲との関係は
良好でした。
脚が悪かったので、勤務時間中で
あっても整形外科を受診してよい
との許可も得ていました。
そんな彼を攻撃する隊員B。彼曰く
上記隊員を排除したい。会社人事の
節目に乗じて、というわけです。
口が達者で、要領も良かったのですが
看護師さんたちからも嫌われていました。
口の軽いB隊員から、A隊員を排除しよう
という計画を耳にした僕は、すぐA隊員に
知らせたのです。
するとA隊員は、クライアント側である
公立病院総務課で、ボイラー担当の嘱託
職員に相談。仲のよい味方でした。
総務課の意思決定権者の耳にも入ったの
でしょう。今年度は隊員を入れ替えない
ようにと、会社へお達しがあったのです。
B隊員は、会社人事に乗じてA隊員を
排除しようとした。
A隊員は、クライアント側の意思決定権の
ある人にアプローチして、これを覆した。
より意思決定権のある方にアプローチした
A隊員の勝利でした。
A隊員、B隊員双方の正しさがぶつかった
時に、より意思決定権のある方を味方に
つけるかが、鍵でした。
人柄もさることながら、日頃から周囲との
協調を計り、クライアント側と良好な関係
を築けていたA隊員。
そんなA隊員をバカにして、職場で横柄に
マウントをとっていたB隊員。結果は
明らかです。日頃の行いの差が出た。
各々の正義であっても、人を動かせる
かどうかは、発するところで決まります。
日頃から、職場との協調を計り
業務を円滑に回そうという公共心と
職場では、口と要領を武器に
他人にマウントを取りたい私欲と
どちらが勝るでしょうか。
Aさんが勝ったのは、職場における
「生産性」を理解していたこと。
より公共心の高い言動が、信用を
生み出していたのです。
それが、自分の正しさを実行できる
バックボーン(背景)になった。
一方B隊員のように、自分だけ快適な
環境にしようとしたらどうなるか。
いずれ、トラブルを起こしていたに
違いありません。
一見言っていることが正しくても、
生産性があるかどうかは、結果を
見て行けば分かります。
トラブルがないと言った結果は、
セキュリティーの業務では、最重要
事項であり、生産性の高さを示します。
トラブルを「呼び込む」のは
日頃の行い、言動に生産性がない。
たとえそれが、その人の非であると
明言できなくても、呼び込んだ素地を
作った事は、使う側は気付いているもの。
我々末端の立場では、正しさを実行する
ために、意思決定権を持つ実力者と良い
関係を築ける、日頃の行いが鍵なのです。
つまるところ、人になる。人との関係に
なる。
人間関係に自信がない人ほど、正論を
武器に、人や組織を動かそうとしますが
支持者がいないので、独りよがりの正義で
段々と居場所がなくなっていく。
これまで見てきた人の中で、言っている
事は正しく、積極的に行動しているけれ
報われない。
それどころか、変な結果すら引き寄せて
しまう。そんな人たちの共通項は何か?
誤解を恐れずに言えば「他責」なこと。
他責にならないようにするには
自分原因論で生きること。
例えば人事担当が、この人を雇った為
面倒なことになった。最終的な決定は
組織のトップでしょう。
その人を雇わなければ、トラブルに
ならなかった。ようするに選択の時点で
回避することが可能だった。
これが自分原因論。他責人間にはこの
視点がないか、乏しいかのどちらか。
上記を分かりやすく解説したものに
空っぽのバケツという例えがあります。
空っぽのバケツは蹴るとうるさい。
中身のない人間ほど、刺激すると激しく
批判をしたり、不平不満を言ったりする。
だから、中身の入ったバケツになりなさい。
そんな教えでした。
他責人間は、往々にして空っぽのバケツ
なりやすい。そんなんでは、協力者を得られ
どころか、孤立するばかり。
加えて他責人間あるあるなのが、
「正しいことは口に出していい」と
思っており、無粋に人を傷つけるところ。
人の数、立場の数だけ正義はあるものです。
それでいて傷つけられることに関しては
とても敏感で、正論を言われると大袈裟に
被害者ムーブをするところ。
周囲は次第に、腫物を扱うようになり
何で自分の正義通りに周りは動かないの。
そんな愚痴が増えていきます。
それを克服するかの如く、行動量だけは
増えていき、空しいループに入り込み
ます。
ダイエット食品で成功した
斎藤ひとりさんも、粗さがしをやめたら
幸せになります、と言っています。
他人の行いを常にチェックして、仕事を
やったつもりになっている。しかし、
人や組織を動かすのは、創り出した人。
他責で、他人の粗さがしばかりしていると
言っていることは正しくても、どんなに行動
していても、同じ事の繰り返し。
正論を述べる前に、自分がその組織に
どれだけ貢献してきたのか、決定権の
ある人に、どれだけ信頼されてきたのか。
正しさより、信頼関係の構築を怠る人に
成果は出ません。一時的に出たとしても
トラブルもセットで呼び込んできます。
これが冒頭の「正しいことをしたければ
偉くなれ」の本質でしょう。自分が偉く
ならなくとも、偉い人に信頼されればよい。
組織の実力者を見極め、その人に信頼
されることが、自分の正義を通す近道に
違いありません。
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